2022年7月22日金曜日

大学生との対話より

 コロナ感染者急増で心配な中ではありますが、多文化に生きるこどもたちはそれぞれに楽しみな夏休みを迎えていることと思います。皆さまにとっても、こどもたちにとっても有意義な時間になりますように。

さて、多文化に生きるこどもネットワーク大分の事務局は、先日、大分県立芸術文化短期大学の光野百代先生にお声かけ頂き、国際総合学科の学生のみなさんと対話の場を持つことができました。

事務局メンバーの体験談をもとに、多文化に生きるこどもたちの現状や多文化共生社会の実現に向けてのお話をさせて頂きました。その後学生さんたちのご意見も聞かせて頂きましたが、みなさんとても熱心に考え、堂々と意見を発表してくれました。これからの社会をつくる世代の方々の、誠実で前向きな姿に「未来への希望」を感じることができましたので、一部ご紹介させて頂きたいと思います。

【学生さんの感想文より】

○私が小学校の時に韓国からきたクラスメイトがいた。その時はみんなもわかりやすいように話したり身振り手振りを使って話し、ある程度の意思疎通はできていたが、やっぱり授業中やテストでは大変そうにしていた。言葉が通じない集団の中での生活は、たとえ同じくらいの歳の子どもたちの中でも孤独を感じたり、みんなが簡単に出来ることが出来ないことで劣等感を感じたりすることがあると思う。だから放課後の日本語教室はとてもいい活動だなと思った。私も参加してみたい。

○ 今日は様々な視点での国際ボランティアを知ることができ、人との繋がりの大切さも再確認できた。私は小さい頃外国の方は怖いというイメージがあった。私、そして周りの人たちも「自分とは違う存在」に抵抗があったのだと思う。その経験からも、心の根っこが育つ時期の教育は本当に大切だと考える。多様性が当たり前のこれからの社会を生きていく1人として、現時点で多様性を理解しているつもりだが、これからさらに異文化理解や多文化理解を深め、家族間・友達間そして後世にも広めていけたらなと思う。心の引っ掛かりをそのままにしない、行動力のある人になれるよう、普段から偏りのない見方で物事を捉えることを意識しようと思う。

○ 一方的に日本語を教えるのではなく、自分も相手の母国語を教えてもらうようにお互いに教えて助け合って支え合うのがどんどん広まっていったらいいなと思った。よく文化が違うからみたいな言い方を聞くけれど、その文化を否定して自分の国の文化を押し付けるのではなく、お互い育った国の文化に誇りを持って教えあってお互いに理解するのも大事なのではないかと思った。理解が増えて差別がなくなり、多文化社会で生きづらい人達が生きやすくなる事を願う。

○ 今回の授業で、多文化についてもっと多くの人が理解することが大事だなと感じた。人は一人ひとり違ってあたり前で、それを否定したり、差別をしたりするのは間違っていると私は思う。

○ 学校の多文化教育がどうあるべきか、異文化への見解をどう持つべきかという問いは、私たち国際総合学科の学生には一生ついてまわる問題だ。私には、海外に行った経験がなければ、外国人と関わる機会もそれほどなかった。だから、自分とは違う存在に対しての捉え方がまだ定まっていない。(今までの外国人へのイメージは)今思えば残酷な偏見ばかりだ。では幼い時に多文化理解の交流をしていたらどうだっただろう。今の私のような、知識ばかりが先行して何も実感と経験が伴っていない大人になってはいなかったと思う。それくらい重要な経験になると思うし、今からでも参加したいと強く思った。 

他にも素晴らしい感想をたくさん頂き、全てここに載せたい気持ちです。貴重な機会を下さった光野先生や、共に考えを巡らせてくれた学生さんたちに改めてお礼を言いたいと思います。

MLメンバーに登録して下さった学生さんも増えました。これからも立場や肩書きを超えて、誰もが平等な一市民としてつながり、みんなでより良い未来に向けて前進していけたらと思います。

【情報共有】

「全国在日外国人教育研究集会・鳥取大会」のお知らせ(歴史ある素晴らしい研究集会です)

http://www.zengaikyo.org/pdf/taikai41-youkou-1.pdf

多文化に生きるこどもネットワーク大分

事務局 

2022年7月2日土曜日

大分合同新聞「学びと言葉~日本語支援の現場から~」

 大分合同新聞の「学びと言葉~日本語支援の現場から~」という掲載をご紹介させてください。

「話せるけど理解難しく~外国ルーツの子、学習言語の壁」(6月29日朝刊掲載)

「授業理解まで長い年月~「すぐ覚える」イメージ 妨げに」(6月30日朝刊掲載)

「進路選択 サポート 課題~国内大学受験 高いハードル~」(7月1日朝刊掲載)

「グローカル人材と共存を~多様な見方を育むチャンス~」(7月2日朝刊掲載)

日本生まれであったり、日本に長く暮らす子どもたちは、「日本語でのおしゃべりが上手(生活言語ができる)」だから大丈夫、と思われることが多いと感じています。おしゃべりができることと、思考を支える言語を育てるのに必要な学習言語ができることは同義ではないということ、そうした見逃されてしまいがちな課題について、子どもたちの声を通して丁寧に伝えてくれている記事だと思います。取り上げてくださった記者の方たちにも感謝するばかりです。

「外国につながる子どもたちの学びを支える体制を教育現場でどうつくっていくか。現状と課題を探る」と書かれてあるように、どのような現状、課題があるかを知り、その解決方法をこのMLでつながるみなさんともそれぞれの立場で考えるきっかけになればと思い、記事を共有いたします。

記事の一部を抜粋いたします。

―児童・生徒への日本語指導はなぜ必要か。

  「彼らは大切な学齢期を日本で過ごす。心身共に成長過程で、思考力を育んでいる段階にある。その力を支え、知識や概念を形成し、世界を広げるために必要なのが言語。日本語教育は子どもの考える力、生きる力を育むためにある」

 「学習言語能力は論理的な考え、物事の抽象的な把握に関わっている。もともと母語が十分でない場合、両言語とも年齢相応のレベルに達しない『ダブルリミテッド』という状態に陥ることもある。既に母語で思考力を身に付けた大人が日本語を学ぶこととは根本的な違いがある」

 ―指導で心がけていること。多文化共生に向けて地域ができることは。

 「出身国で培った経験や知識を生かせるよう、学習の連続性を大切にしている。母語を大切にすることは自己肯定感を育むことにつながると感じている」

 「日本語ができない子どもを『支援の対象』として見るのではなく、地域社会にプラスの影響を与える存在と捉えてもらいたい。それぞれの文化を理解することで多様なものの見方を育むことができる。そうした子が学校に通い地域で育っていくのはすごいこと。彼らは真の『グローカル人材』。共存をチャンスと考えてほしい」

 今回の「学びと言葉」の連載で、改めて、子どもたちは年齢も背景もさまざまで、日本生まれであっても、高校に進学した後であっても、取り組むべき課題があるということを、実際の子どもたちの言葉や様子から知ることができました。そして「外国人児童生徒等教育」の表層的な課題だけでなく、深いところにスポットをあててくださったことで得られた気づきは大きかったです。

こうした「外国人児童生徒等教育」に関する事柄や課題は、子どもたちや親御さん、直接学びに関わる先生たちや学校だけが抱え、解決していくものではなく、社会全体の心持ちが変容していくことが遠回りのようで、なにより大切だと感じています。みなさんは記事を読んでどんなことを考えますか。