2020年10月21日水曜日

わたしの取り組み紹介リレー「小学生・留学生・校区住民で創る体験型合宿」

 9月のオンラインネットワーク会で発表していただいた藤田明美さんが、参加できなかった方のために活動報告をしてくださいました。多文化共生社会を願う方々の活動から多くのことを学ばせていただけます。ぜひ、ご一読ください。藤田さん、ご報告ありがとうございます!

「 小学生・留学生・校区住民で創る体験型合宿 」 

日本語ボランティアひまわり所属 

日本語指導員 藤田 明美

この合宿は4つの校区にある小、中学校の子どもたちと、県内の大学に通う留学生がその校区公民館を毎年順番に活動場所として訪ね、その土地の特色ある活動を校区住民の方々に手伝っていただきながら一緒に行い、その校区公民館に宿泊するというものです。

活動の例としては、昔の農機具を使わせていただいての稲刈りや芋掘り、お餅つき、大根の収穫、里山を実際に地元の方々と歩いての植物や生物の観察、里山作りのために切り出した竹を使っての笛や竹馬作り、自然の植物の色を使った染色、火起こしから始める、薪を使った飯盒炊爨、カレー作り等々です。

私の担当は参加留学生の募集と合宿中のお世話ですが、スタート当時は、ほとんどの留学生がバイトで生活費を工面しているため、バイトを休んで合宿に参加してくれる留学生を10名集めることはとても大変でした。

当初は募集ポスターを作り、当時勤務していた別府大学の留学生課にお願いして、掲示板に貼っていただいたり、別府大学や別府大学別課の先生方に協力をお願いしたり、大学コンソーシアム大分に募集を掲載していただいたりしましたが、3年、4年経つうちに留学生仲間で、合宿のうわさが広まり、たくさんの留学生が自ら応募してくれるようになりました。

応募人数が増えたのは良かったのですが、15年の間には、当日の朝、10名の参加者のうち4名が体調不良などでキャンセルになったり、電車に乗り遅れた子を別府まで車で迎えに行ったり、留学生のアパートの部屋が水道の止め忘れで水浸しになっているから、すぐ帰ってきてくれと言う大家さんの電話に、慌てて留学生を車でアパートまで連れて行ったり、1泊なのにタオル1枚持ってきていない留学生がいたり、参加希望は出ているが、連絡が全く取れず、本当に来るのかどうか当日までわからない子がいたりと、本当に様々な事がありました。また、別府大学駅から集合駅まで来るためには、大分駅で乗り換えなければならず、無事に乗り替えができ、駅に到着した留学生の姿と笑顔を見たときには、合宿の半分が終わったほどのほっとした気持ちになったものです。

その後、わたしが別府大学を離れてからも、別府大学や別府大学別課の留学生が先生方のご協力で、同じように参加してくれていましたが、一昨年からは、開催地に近い大分大学の留学生に参加をお願いするようになりました。

この合宿では、小学生たちも初対面の子が多く、ましてや、留学生と寝食を共にするなど初めての子がほとんどで、開所式のころは、みんな硬い表情をしていましたが、活動が始まると、どの子も、そして留学生も、目をキラキラ輝かせて本当に楽しそうに活動をしていました。内容も年々充実し、野外での活動のほかにも認知症サポート出前講座や地元のお寺での座禅、地元の方のお手前による茶道、埋蔵文化財センター訪問なども含まれるようになり、小学生、留学生、過疎化や高齢化で若者と触れ合う機会の少なくなった地元の方々などと一緒に創りあげていく合宿へと変わっていきました。ただ、最初のころは地元住民の方々も、英語が喋れないからと、留学生に話しかけるのをためらう姿も見られましたし、逆に必要以上に英語で話しかけたり、参加した子どもたちに英語で話すよう強いたりする場面も見られました。

留学生(外国から来た方)=英語だったのでしょう。

わたしも時として出てくる、そのステレオタイプの考え方から変えていかなければと気づかされ、留学生は様々な国から来ており、話す言語も英語だけではないことや、英語の得意でない留学生もいること、突然英語で話しかけることは、時として失礼になることなどを説明し、合宿中は日本語で話しかけてもらうようにしました。

また、わたしが自由に、子どもたちや留学生とゲームやクイズ、ダンスなどを楽しむことを任されている「国際交流タイム」という2時間のコーナーでは、その都度、事前に、参加留学生の出身国を紹介するパネルを展示し、その国に関するYes/Noクイズを出題したり、留学生の母語での挨拶を教えてもらい、どれだけ違う国の言葉を発するのが難しいのかを、子どもたちが実際に発音することで理解してもらったり、留学生が初めて日本に来た時に驚いた事や困った事、習慣の違いなどを紹介してもらい、その時にどう感じ、どう思ったのか、自国の習慣とはどんな風に違うのかなどを話してもらったりしました。時にはタイの伝統工芸技術の「カービング」やフィジーの民族ダンスを披露してもらいながら、世界にはいろいろな習慣や文化があることを、小学生や地元の住民の方々に理解してもらえるよう工夫を凝らしました。

そうして、1泊2日の合宿は10年15年経つうち、次第に、国籍や言語、大人や子ども、学生や社会人などの枠組みを超えた、人と人とが触れ合える合宿へと変わっていきました。そして毎回、新しい出会いと感動、次へとつながる勇気を、子どもたち、留学生、地元の方々、そして、サポートする公民館スタッフやわたしたち地元ボランティアスタッフに与えてくれるようになりました。

わたしが日本語教師として常に思っていたのは、留学生たちに日本語指導をするだけでなく、日本に夢と希望をもってやって来た留学生たちが、日本滞在の期間を勉強とバイトだけの生活で終わってしまうことなく、多くの日本人と触れ合い、お互いに学び合えるような機会を作ってあげたい、そして、日本に来て良かったと思ってもらいたいという思いでした。

この15年間で合宿に参加した留学生は延べ120名以上ですが、その中の、人数は多くありませんが、10名ほどが、参加した小学生や地元住民の方のお宅へホームステイをし、その後も家族ぐるみの交流が続いていること、また数名が、大分国際車いすマラソンのスタッフ研修を日本人ボランティアスタッフの方々と一緒に受けたり、友人の韓国語会話の先生になったりしたこと。また、大分市教育委員会社会教育課主催の、のつはる少年自然の家での合宿「キッズわくわくパーク冬のネイチャーゲーム」にも参加し、普段体験できない自然を大分市の小学生40名ほどと一緒に体験できたこと、別府大学の留学生と別府市中部中学校の2年生との交流が実現できたことなど、双方にとって有意義で喜んでもらえることを、多くコーディネイトできたことは、わたしにとっても、とても大きな喜びでした。

今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、規模の縮小と時間の短縮を行い、宿泊なしの「体験楽習in大南」が10月17日に実施されました。今回も参加者全員にとって有意義な体験ができたことを期待しています。

現在わたしは、大分市の「日本語ボランティアひまわり」に所属し、日本語の習得を目指す、市内の小、中学生に日本語指導を行っていますが、子どもたちがより心地よく日本語を学ぶことができ、日本の学校や社会で暮らしていけるよう、今後もサポートしていきたいと思っています。